【公式】倉敷児島 塩結び(えんむすび)プロジェクトの「倉敷児島塩結びプロジェクトについて」です

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日本最古の歴史書「古事記」で9番目の島として誕生した『吉備の児島』の干拓の歴史から始まった塩結びのストーリー。
児島の塩の魅力で新しい塩(縁)を紡いでいきます。
塩で縁を結ぶ

児島と塩の歴史

児島と塩の歴史

児島の場所

日本最古の歴史書『古事記』によると、当地『吉備の児島』は日本で9番目の島として誕生し、江戸時代から始まった干拓などにより陸続きとなります。

  • 『製塩業』海からの産物である塩の白、
  • 『漁業』玉筋魚ーイカナゴーの白、
  • 『繊維業』塩害に強いため栽培が根付いた綿の白、

この3つが『児島三白』と呼ばれ児島の産業の中心でした。

『日本後記』には、児島の塩百姓について示す記述があり、児島の製塩の歴史の深さがうかがえます。

児島三白

プロジェクトの目的

児島の塩で縁を紡ぐ

児島の塩で縁を紡ぐ

塩田風景

『国産ジーンズ発祥の地・繊維のまち』として知られる児島地区ですが、瀬戸内海に面した当地では古くから塩業が盛んに行われておりました。

その塩に焦点をあてたプロジェクトとして、旧野崎家住宅(ナイカイ塩業(株))と下津井電鉄(株)が開発した「塩田王 野﨑家の塩(下津井電鉄PB)」を使ったお土産・商品の製造を始め様々な事業を行うことで、児島=塩とより多くの方に知っていただき、児島の塩の魅力を感じられるまちづくりを行います。

塩により人・企業・地域の新たな縁(塩)を紡いでいきます。

児島の塩田王

野﨑 武左衛門

野﨑 武左衛門

野﨑 武左衛門

古くから製塩業が盛んだった児島地区で、野﨑 武左衛門(1789-1864)は1827(文政10)年に岡山藩から許可を得て製塩事業に着手します。
一代で広大な塩田を開発したことから「日本の塩田王」と呼ばれ、塩田経営は世のため人のため
でなければならないとの信念を持ち、家訓として残しています。

旧野崎家住宅・野﨑家塩業歴史館では当時の様子をうかがうことができ、児島発展の象徴的な存在となっています。

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅

 

地域の交通の要として、更なる活性化に貢献

下津井電鉄

下津井電鉄

下津井電鉄 ジーンズバス

下津井電鉄(株)は、明治44年の創業以来バス事業・住宅関連事業・飲食事業・介護事業等、地域社会に貢献すべく様々なサービスを提供しています。
この度、児島商工会議所が企画した地域の魅力発信事業「倉敷児島 塩結びプロジェクト」の一貫として、ナイカイ塩業(株)とご当地土産品「塩田王 野﨑家の塩」を共同開発し、下津井電鉄(株)にとって縁深い児島地域の更なる活性化に取り組んでいます。

倉敷児島塩結びソフトまた、下津井電鉄(株)は、倉敷唯一のサービスエリア、鴻ノ池サービスエリア(上下線)を運営しています。売店では、「塩田王 野﨑家の塩」を使用したお土産を販売しています。また、フードコートでは「児島塩ラーメン」「倉敷児島塩結びソフト」や「児島豚汁」が大人気商品です。

鴻ノ池サービスエリア

「塩田王 野﨑家の塩」を使用したお土産

 

倉敷児島塩結びプロジェクトについて